パンクにも影響を与えたブルースマン「R.L. バーンサイド (R. L. Burnside)」

ジャズ、ソウル、ヒップホップ、R&B、そしてブルース。私は、ブラックミュージックが大好きだ。ブラックミュージックが好きな一番の理由はリズム。「グルーブ感」。
感覚的には、リズムが少し遅れて入ってくるので、自然と体が横揺れになる。この感覚が大好きだ!!
うんちくはこのくらいにして、今回のご紹介するのは、ブルースマン「R.L. バーンサイド」。

遅咲きであったが、ブルースマン達をフィーチャーした映画「Deep Blues」を皮切りに有名になり、晩年はJon Spencerなどと多数共演し、パンクやロックといった若者音楽にも多大な影響を与えたブルースマン。

 

R.L. バーンサイド (R. L. Burnside)

彼の名は、Robert Lee Burnside。通称 R. L. Burnside。1926年11月26日に Harmontown, Lafayette County, Mississippi、Lafayette Countyで生まれました。(ミシシッピー州、ラファイエット郡にあるHarmontownという非法人地域の生まれ)。
16歳からギターとハーモニカをはじめ、20代前半(21-22歳)の時に初めてライブをしました。ブルースは近くに住んでいたMississippi Fred McDowell(フレッド・マクダウウェル)から学んだと言われています。

1940年後半、バーンサイドは30歳くらいの時に、離婚した父親を頼って、シカゴに移り住みました。理由はもっと安定した経済状況を得るためです。
バーンサイドは、金属・ガラス工場で働きながら、Maxwell Street(マックスウェルストリート)でシカゴブルースに浸りました。
しかしそんな楽しい日々は長く続きませんでした。当時のシカゴは治安が悪かったようで、彼の父親、兄弟、親戚が次々に帰らぬ人となりました。
不幸が重なり、R.L. バーンサイド (R. L. Burnside)は、故郷のミシシッピーに戻りました。そして、Alice Mae Taylorと結婚しました。

1950年台、バーンサイドが40歳台の頃は、テネシー、ミシシッピ、メンフィスあたりを転々としており、生活もだいぶ荒れていたと言われています。

1960年以降、バーンサイドは、ミシシッピ州北部で落ち着いた生活を送りました。
仕事は、大豆や綿花の栽培をしたり、タラハッチー川で捕った魚を売ったり、トラックの運転手をしました。

 

Maxwell Streetとは?

イリノイ州、シカゴにある東西に伸びた道(ストリート)のこと。1930-1940年代、このストリートではたくさんのブルースマン達が野外演奏を行っていた。余談になるが、シカゴブルースと言えば、エレキギターを連想する方も多いと思います。
Maxwell streetでは、たくさんのブルースマンが野外で演奏しているため、大きな音を出さなければ観客を集めることが出来ませんでした。そのため、リゾネーター ギター(Resonator guitar)やアンプを使ったギターがいち早く採用されたことが要因であると言われています。

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